2001年2月6日の正午すぎ、福山市明王台の主婦・大石朝美さん(当時35)が自宅で何者かに腹部をナイフで刺され殺害されました。
警察は、凶器の果物ナイフや犯人が履いていたとみられるテニスシューズを公開するなどし情報提供を求めていましたが、決定的な情報は得られず、20年の歳月だけが過ぎていきました。
本日急転直下、容疑者確保の速報が入りました。竹森幸三容疑者(67)が逮捕されました。
福山市明王台主婦殺害事件・事件概要
事件は2001年2月6日に発生。午後0時45分ごろ、大石朝美さん方の警備システムが作動し、警備会社が110番通報しました。
駆け付けた警察官が2階への階段中央付近で、果物ナイフで左脇腹を刺され、座った状態で死亡している大石朝美さんを発見しました。
家の中から金品が奪われた形跡はありませんでした。
現場には、凶器の果物ナイフと犯人が履いていたとみられるテニスシューズの足跡などが残されており、福山西警察署は2011年時点で、延べ12万人の捜査員を投入していました。
福山西警察署は、犯行に使用された凶器や犯人が履いていたとみられるテニスシューズを公開するなどし情報提供を求めていましたが、この20年間、決定的な情報を得ることが出来ませんでした。
福山市明王台主婦殺害事件・事件発生までの経緯
当時の家族構成は、大石朝美さん(当時35)、パチンコ店経営者の旦那さん(当時37歳)、長男(当時6歳)、長女(当時9ヶ月)でした。
事件当日の朝、大石朝美さんは長男を保育所に預けに行きます。
その後帰宅し、旦那さんと長女の面倒を見て過ごします。
旦那さんは11:30頃にパチンコ店に出勤しました。
この時、契約していた警備会社が大石朝美さん宅からの緊急警報を察知、警察に連絡します。
先に大石朝美さん宅に到着したのは警察官でした。その後、警備会社の社員も到着します。
現場は凄惨極まるものでした。
大石朝美さんは階段途中に倒れており、ナイフで脇腹を刺された状態で発見され、その場は血の海だったそうです。既に大石朝美さんは息絶えていました。
不幸中の幸いで、長女は無事でした。
室内には争った形跡もなく、金品が盗まれた形跡もありませんでした。
現場は住宅街でしたので、両隣の家に何か争った声や不審な点がなかったか、警察は調査を行いますが、不運なことに、両隣の家は、事件発生当初誰もいない不在の状況で、大石朝美さんの叫び声などを聞いた人や、不審な人物の目撃証言も得られませんでした。
大石朝美さんの司法解剖の結果、大石朝美さんは頭を鈍器で殴られたような形跡があり、口は粘着テープで塞がれていました。死因はナイフによる失血死でした。
警察は血のついた足跡から、犯人の履いていた靴を洗い出します。前段の写真にあるものですが、28センチの韓国製テニスシューズです。
福山市明王台主婦殺害事件「竹森幸三容疑者を逮捕」
事件から20年経過した2021年10月25日、福山西警察署は殺人の疑いで、福山市西新涯町の無職、竹森幸三容疑者(67)逮捕しました。
竹森幸三容疑者は警察の調べに対し、「記憶にない」と供述している模様です。
警察がなぜ竹森幸三容疑者の逮捕に至ったのか、犯行の動機は何だったのか、逮捕の決め手はなんだったのか、現時点では不明ですが、徐々に情報は明らかになってくると思います。
しかし、竹森幸三容疑者がもし犯人でなければ、任意同行に応じた末に犯行を聴取された際に「記憶にない」と言うことには違和感を感じ得ません。
全くの無実であれば、「そんなことしていません!」などと、自身の潔白を主張するでしょう。
それを「記憶にない」と表現するのは、クロであるお偉いさんが国会などで使う常套手段であり、警察も20年という月日と18万人という捜査員を投入した上での逮捕ですから、確実な証拠があるものと思われます。
気になるのは、竹森幸三容疑者が捜査線上に浮上したのが、今月10月上旬ということです。現場に残された物証から逮捕に至ったということですが、そこに辿り着くまでになぜ20年もの歳月が必要だったのか、そして10月上旬に竹森幸三容疑者が捜査線上に浮上した理由とはいったい何なのか。
警察はこの点に関して、公にするつもりはあるのでしょうか。
識者からのコメントを引用させていただきます。
事件発生当時、凶器は大石朝美さんの脇腹に刺さったまま。つまり犯人は凶器を現場に残していました。
上記の識者のお二人が述べているように、20年前よりも飛躍的な進化を遂げたDNA鑑定が、竹森幸三容疑者の逮捕につながった可能性が高そうですね。
引き続き続報を待ちまして、記事更新を行います。
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