紀州のドン・ファンこと野崎幸助氏が77歳でこの世を去ったのが2018年。覚醒剤の過剰摂取による死でした。
当時は野崎幸助氏が55歳年下の須藤早貴と結婚したことが話題となり、野崎幸助氏の死も、遺産目当てで結婚したと世間から見られていた須藤早貴の手によるものと思われていましたが、昨日4月28日、事件発生から実に3年が経過しようとしていた矢先、和歌山県警は急転直下の須藤早貴容疑者の逮捕に踏み切りました。
須藤早貴容疑者については別記事を参照して頂きたいのですが、今回は被害者である紀州のドン・ファンこと野崎幸助氏の生涯について調査してみました。
そこに見えたのは、野崎幸助氏はお金で全てのものを手に入れていた、ということです。金品はもちろんのこと、女性との交際や結婚でさえもお金で買っていたのです。
最期は須藤早貴容疑者に殺害された野崎幸助氏に対して言う言葉ではないかもしれませんが、私は敢えて言わせていただきます。
金で全てを手に入れてきた人間の末路は所詮こんなもの・ざまあみろ、と
紀州のドン・ファン野崎幸助氏の貧しい生い立ち
野崎幸助氏は1941年、和歌山県田辺市に7人兄弟の3男としてこの世に生を受けました。この時代はどの家庭も子供がやたら多く、その割にはお金がなく貧乏で、今思えば親は随分と無責任だなあと思ってしまいますが、野崎幸助氏も例に漏れず、貧しい家庭に生まれ、7人兄弟という大世帯でした。
この時代は、中学を出れば高等学校を受験するのではなく、働きに出るのが通例でした。野崎幸助氏も中学卒業後、社会に出ることになります。
野崎幸助氏は酒造メーカーで働き始めます。お酒を造る仕事ではなくて、お酒の訪問販売でした。今では考えられない仕事ですね。
しかし、貧しい生い立ちから抜け出したい一心で野崎幸助氏は働きに働き、他の社員の倍は稼いでいたといいます。この頃から、お金をたくさん稼いでやるという野心は人一倍あったに違いありません。
お金をたくさん稼いぎたいという姿勢はある意味立派だと思いますし、それを有言実行していた野崎幸助氏は凄いと思います。私は営業という職種は完全に自分には無理だと思っていたので、今までの人生で営業をしたことはありませんが、営業支援の仕事に就いていたことはあるので、営業の大変さは分かっているつもりです。
それに、野崎幸助氏がお酒の訪問販売をしていたのは、今とは全く違う時代で、ちょっと想像が付きません。しかし、家を一軒一軒回って地道に顧客を増やしていったのでしょう。それこそ毎日足が棒になるくらい営業を続けていたのでしょう。そうでなければ、他の社員の倍稼ぐことなんて出来ないでしょうね。
こういった野崎幸助氏のハングリー精神は素直に尊敬できますね。
紀州のドン・ファン野崎幸助氏「コンドームの訪問販売で成功」
酒造メーカーで酒類の訪問販売で実績を重ねていった野崎幸助氏。とある時に人生を大きく左右する仕事と巡り合うことになります。
それは、「コンドームの訪問販売」でした。
これも今では考えられませんね。コンドーム自体が珍しかった時代です。ですから、世間のコンドームへの認識というのはまだまだ浅く、差別と紙一重の偏見みたいなものがあったに違いありません。誰もそんな仕事やりたがりませんよね。
でも、ブログの記事でもそうなんですけど、誰も手を出したがらない、誰も手掛けていない分野って需要があるんですよね。そこに目をつけた野崎幸助氏は先見の明を持っていたとも言えるでしょう。
酒類の訪問販売で、営業トークは完全に身に付いていたであろう野崎幸助氏ですが、このコンドームの訪問販売では仰天の営業方法を実践することになります。
なんと、コンドームの実演販売を行ったのです。
いや、これって今だったら完全に犯罪ですよね。といいますか、当時も犯罪になるんじゃないんですか。
野崎幸助氏は夫が留守にしている家庭、つまり奥さんだけがいる家庭をターゲットにして、コンドームの実演販売を行ったんです。
つまりこれって、野崎幸助氏側から見たら強姦ですし、奥さん側から見たら浮気ですよね。昔は見方が違ったんでしょうか。いや、そんなはずはさすがにないとは思うのですが、当時20代だったヤりたい盛りの野崎幸助氏は、そういった自分を利用して、次々と和歌山の奥さん相手にコンドームの実演販売を行っていきます。
一歩間違えれば犯罪になる仕事内容だと思うのですが、ここでも野崎幸助氏は運を味方に付けます。当時のサラリーマンの平均月収の3倍を稼いでみせたのです。
ここまで来ると、凄いを通り越してしまいますね。やはりどの世界でも台頭してくる人ってのは、人と同じことをしませんよね。人と違うことを実践しては失敗し、それでもへこたれずに実践し続けた結果、成功するパターンが多いですよね。
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野崎幸助氏「金融業に進出・紀州のドン・ファンに成り上がり」
犯罪と紙一重だったコンドームの実演販売である程度の財を成した野崎幸助氏は、今度は金融業、つまり金貸し業に進出します。
金貸しも当時はまだ勃興期だったでしょう。野崎幸助氏がやってきた仕事を見ると、やっぱり「誰もやっていないことをやる」ことに執着していたように思えます。実際、ライバルが多い業界で稼ぐのは大変です。そこを野崎幸助氏は若い時分からわきまえていたんですね。経営者としては一流ですね。
野崎幸助氏の金融業の場は、和歌山からやがて東京に移ります。
東京は当時も今も圧倒的に人口が多いですから、それだけお金を貸す人が多いわけです。収入は和歌山にいた頃とは比較にならなかったでしょう。この東京進出で、野崎幸助氏は「紀州のドン・ファン」と呼ばれるようになるのです。
ドン・ファンというのは「女たらし」という意味ですが、その名の通り、野崎幸助氏は女たらしでした。女癖が悪いとでも言うんでしょうか。
当時の東京の夜の世界は、さぞ華やかだったことでしょう。野崎幸助氏は金融業で稼いだ大金を、高級クラブなどで湯水の如く使いまくります。これもまた野崎幸助氏の豪快さと言いますか、凄いところだと思います。
懸命に働いて懸命に遊ぶ、これってなかなか出来ることではないと思います。
野崎幸助氏の著書に「紀州のドン・ファン 美女4000人に30億円を貢いだ男」がありますが、その物語はここから始まったんですね。
あ、コンドームの実演販売の時の奥さんもカウントされているかもしれません。
野崎幸助氏「お金で何でも手に入れてきた人生」
4000人に30億円貢いだ野崎幸助氏、当然貢いだだけではなく、相当数の女性と交際しては関係を持ったことでしょう。私が唯一野崎幸助氏を尊敬できないところがここなんです。
いや、これは嫉妬や妬みなのかもしれません。自分は平々凡々に生きてきましたし、一度家庭は築いたものの、奥さんに一方的に捨てられたからです。
ですから、野崎幸助氏を尊敬できないというのは、羨ましいという気持ちが隠れているんだと思います。
しかし、ある意味野崎幸助氏はお金で何でも手に入れることが出来る身分になってしまったことで、悲惨な末路へと導かれていったと思えてなりません。
30億貢いだと自分で公言しているということは、女性との交際もお金で買っていたということです。つまり野崎幸助氏と交際していた女性との間に、愛だの恋という、いわゆる恋愛感情というものがほとんどなかったのではないでしょうか。
しかし、こういう野崎幸助氏を批判する気にはなれません。なぜならば、結婚なんかしたら、夫婦の関係なんて99%「お金」だと思うからです。稼いでいれば仲良く見える夫婦、稼ぐことが出来なければ外から見ても不仲な夫婦、実際そんなところじゃないですか。きれいごとは抜きにして。
野崎幸助氏が紀州のドン・ファンとして世に認知されたのは、2016年に、27歳の女性に現金600万円と5400万円相当の宝石など、合計6000万円を盗まれたことで有名になりました。
この時テレビのインタビューに野崎幸助氏はこう答えています。
「6000万円なんて自分にとっては紙くず。窃盗事件もいい経験だ」
女性を失ったことより先にお金が出てくるんですよね。もちろんお金や宝石を盗まれたからなんでしょうけれども、インタビューからは悲壮感が全く感じられません。
つまりこの27歳の女性との付き合いも、「お金で買っていた」から、野崎幸助氏は悲しくなかったのではないでしょうか。
このインタビューが放送されたからでしょう。2017年、野崎幸助氏は自宅で強盗に襲われます。幸い命は救われたものの、金品4000万円が強奪されてしまいました。
この強盗事件でも、野崎幸助氏の認知は広がるばかりでした。
それにしても自宅に何千万もの現金や金品を置いておくなんて、セキュリティーが甘いですね。周りに良いブレーンがいなかったのかもしれませんね。
野崎幸助氏「須藤早貴容疑者との運命の出会いと哀れな末路」
著書で、女性との交際や男女の関係を迫る際に、30万から40万を提示していたことを、自らの著書で公言しています。こんな金額を提示したら、女性から猛反発を受けるかもしれませんが、大抵の女性はなびくのではないでしょうか。私が女性なら必ず付き合いますね。
そんな野崎幸助氏も結婚を3回しています。子供はいません。3度めの結婚が野崎幸助氏の運命を変えてしまうわけですが、前の2度の結婚も、お金で買った結婚だったに違いありません。
2017年、野崎幸助氏は空港で転んでしまいました。そこに駆け付けて助けてくれたのが、3度めの結婚相手となる須藤早貴容疑者でした。意外ですよね、最初は優しい人だったんですね、須藤早貴容疑者。
それが馴れ初めとなり、野崎幸助氏は須藤早貴容疑者に対し「僕の最後の女性になってもらえませんか」とプロポーズします。しかし実際は、結婚したら毎月100万円あげるといった密約があったようです。
須藤早貴容疑者も野崎幸助氏に負けず劣らずの金遣いの荒さの持ち主で、これは好機と感じたに違いありません。
しかし須藤早貴容疑者との結婚生活はたった3ヶ月で終わりを迎えてしまいます。野崎幸助氏自らが殺されることによって。
野崎幸助氏が殺害された経緯については別記事を参照していただきたいのですが、ここで私が言いたいのは、金で何でも手に入れてきた人間の最期なんてのは、所詮このような寂しくて悲しいものだ、ということです。
告別式で涙を流してくれることもない妻の須藤早貴容疑者。私は天国に行ったら野崎幸助氏に聞いてみたいです。お金で買った女性との交際や結婚は楽しかったですか?と。
もちろんここにも、一般庶民なる私の妬みがあるのかもしれません。私は一方的に離縁されたものの、元奥さんのことは世界の誰よりも大好きでしたし、子供が産まれた時や、子供と3人で出掛けるといった些細なことに、とんでもない幸せを感じてましたよ。元奥さんはどうだったか知りませんけど…。
交際すれば誰だって経験するこのような些細なことに幸せを感じるという経験を、野崎幸助氏は77年の人生で、極端に言えば一度も経験したことが無かったのではないかと思うのです。殺害された野崎幸助氏に向ける言葉ではありませんが、男性からしたら、野崎幸助氏の最期というのは、「可哀想だな」という意見より、圧倒的に「そんなもんだろ」、「ざまあみろ」といった類の意見が大半を占めると考えるのは、わたしだけでしょうか。
和歌山県警は、須藤早貴容疑者の逮捕の際の会見で、「無くなられた被害者のご無念を晴らすことができた」と言っていましたが、私はとても違和感を感じました。無念なんて野崎幸助氏は死の間際、感じていたのでしょうか。
1代でこれだけの財を成した野崎幸助氏は凄いと思います。しかし一方で、そのお金を、30億もの大金を女性のために使ってきた野崎幸助氏は全く尊敬できません。
ですから私は思いました。3年前に野崎幸助氏が殺害された時も「ざまあみろ」と。
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